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まず表向きの話から始めます。
1989年頃、世界は大きく揺れ動いていました。と言っても2008年の今から見れば大したことないかもしれませんが・・・
そんな頃、私は今で言う所のバシャールのワクワク話。これをまさに地でいっていました。ですからバシャールの本を手にするのも
必然でしたし、それを読んで学ぶというよりただ単に、思っている通りだと確認するような感じでした。
そして1991年の湾岸戦争、爆撃の様子がまるでゲームでも見ているかのように、テレビに映し出されていました。
「これは、早いとこバシャール的な考え方を、広めて行く助けをしなくてはまずいな。」と考えさっそく実行しました。
まず、バシャールの本を自分たちの店でも、取り扱えるよう出版元のヴォイス社に連絡し、即仕入れてカウンター周りにさりげなく置いてみました。
ところが、やはり、思うようには売れてくれませんでした。
そこで、次は、チラシ広告に様々な形で、紹介していきました。
それでも、まだまだ、だったので、1991年3月に創刊した、地元のタウン誌GOGOにページを持っていたので、そこでもまた紹介しました。
そんなこんなを続けているうち、夢にエササニアンらしい人々が、幾度か出てきたり、1992年の12月、エジプトのグレートピラミッドの前で
バシャールや、たくさんの存在たちの話を聞いたりするようになると、こんな考えが浮かんできました。
仏教の解釈本や解説のように、自分でバシャールの解釈話でもやった方が、いいかもしれない。
しかも、バシャールの本以外のバシャール情報や、その他情報も、なぜかよく集まって来ているし・・・
「よしっ」
と思い立ち、まず、広告の形で、本の中身を少々引用することもあると思うがと、ヴォイス社に連絡し、すぐに快諾してもらった。
また当時、バシャールのセミナー等を運営していた、ワンネットワークにも連絡し快諾を得た。
私達の会社はビデオレンタル店の経営だったこともあり当時でも、著作権に関しては、きちんと対応を旨としていたのである。
1980年代から、著作権には泣かされもし、また守られもしてきたので、ないがしろにはしないよう努力はしていたのだ。
まあもちろん、バシャールや他の存在たちがそのような権利を主張することは、ないのではあるが・・・。
そうして1993年7月1日に、出来上がったのが「超無限創造神」。
同年6月25日発売のGOGO7月号で、ワクワク出来上がったのが「宇宙の説法」である。
以上が表向きの話。
これからが裏話。
やはりこれは、1991年3月24日午前3時前から始まっている。
この時始まった交流から生まれた、新たな自分とも、本来の自分ともいえる思考パターンは、私の中で日に日に強くなり、
当時の環境の中に感じる無理解の連続体のような、得体のしれないエネルギーが、窮屈で不自由でたまらない。
どちらかと言えば、このままでは、こんな所にはいられない。とそういうのを感じて仕方なかったので、
居心地を良くするため、早急にこちらも、むこうも変わらなければならない。
「よっしゃあ」
と思い立ち、まず、自分の周りで一緒に生活している人たちに、「共に学びつつ変わってもらおう作戦」を実行した。
これには、多少の悪戦苦闘もあったような気もするが、リアルGOGOや修行者3人が行く、ビデオ屋の3悪人、などを見てもらえればわかるように、
完璧のタイミングでうまくいった。
同時進行で、地域や町にも、チラシやGOGOや本などを活用して、バシャールの言う気づきのヒントやチャンスを置き続けた。
家、会社、地域、と自分が出来る限りのことを次々と繰り出し、波長よどうか良いところで合っておくれと祈りつつ・・・。
その頃よくこんなビジョンを見ていた。
そのビジョンの中で主人公は、黒くて大きくて動かない丸い球のようなチカラ( 魂 )だった。
人間界の、今ここに、ただ存在するだけで充分の何かのチカラだった。無限とも宇宙とも法とも神とも呼べるような力だと思っている。
だがそれをすぐに見つけた、古い力を象徴する老人たちが、4,5人近付いてきて、相談するといつもの調子で隠し始める。
そんなビジョンだ。
最初は、まだ、玉に対する畏怖の念が残っていたので、回りをカモフラージュしてだれにも見えないようにだけした。
少し時を経たかのようなビジョンでは、球の周りに何かを塗り重ね、違う形のものとした。
又時を経て、少し玉が見え始めると、また集まり、最後には、回りから穴を掘り進め、その中に玉を入れると今度は砂までかけ埋め始めた。
するとすぐに天変地異が起こり、また玉が人の目に触れる程度に現れた。
次に来た老人たちは球のチカラを忘れていたので、手荒いことを始めた。なんと、かたい棒のようなもので球を叩き壊そうと色々とやり始めたのだ。
どうなるんだろうか、と消えかかるビジョンが消えないように、さらに集中して見ていると、何度も、たたかれた玉が、一度だけ波動を発したように見えた。
その波動を浴びると、老人たちは、もがき始め、彼らのすべての人生が苦に満ちてしまい滅んでいった。
又時を経てみても、玉は何事もなかったように、ただそこにあるだけだった。
どうやら波動を発したように見えたのも、老人たち自身の行いがただ単に本人に帰っただけなのだろう。
「神は鏡」
次は子供たちが、玉を見つけて学び、そのチカラを人生のすべてを使って表現していってくれる。
私の世界では、そうなっていくと決まっている。
このビジョンは1991年以降、数年ががりで何回かに分け実際に見えたものです。
ふとした時に、急に眠気のような感覚を覚え、眼を閉じると見え始めます。「上」が何かを伝えようとしているといった方が、多少は正確かもしれません。
象徴的に老人として見えていたエネルギーは、きっと老若男女すべての中に潜んで、狭量な選別へとうごめいていた「古い力」でしょうか。
もちろん老人と言っても、心の柔らかさを基準とした時の「差別的かたくなさ」の象徴というような感じで、実年齢とはあまり関係ないようです。
いつの時代でも、心の若さは、人それぞれです。
「青春とは心の若さである」といったのは、確か松下幸之助さんだったと思いますが、私も同感です、なによりこの言葉にはチカラが宿っています。
ほんまに、いい響きである。
このビジョンの続きは今はもう見ることがない。
今後も、もう見ないだろう。
何故なら私の世界では、次は子供たちが玉を見つけ学び、そのチカラをそれぞれの人生で表現し続けてくれると決まっているからである。
だから、これからは、玉はだれでもすぐに気づくところに存在し続けられるのである。
これを楽しんでいる「あなたの世界」もそうなりつつあるでしょう。
このような流れの中で、「宇宙の説法」も始まり、当時の、心が柔らかくなおかつ強い(簡単にいえば若い)読者層を中心に確実に広がっていったのである。
当時、そのことをGOGO編集長のターフK氏は、こんな風に私に伝えてくれた。
「みんな見てないようなふりして、[宇宙の説法]は、きっちり見てるみたいよ、俺が言うのも変だけど、編集やってたら、ようわかるけん。」
それを聞いて、私は心の中でニコッとしたのをよく覚えている。
このように、バシャール的な考えを広める手助けと言うのは、実は、「自分自神」にとっては、当然やらなければならない奉仕であったようだ。
そして、こうしてやり続けたことが「無限」本来の奉仕、「自由と共存の祈り」へと続くのである。
それから言い忘れてはいけないことがもうひとつ
当サイトで度々使用しているプレアデスの写真は、友人のT.M さん
エササニアンの絵は友人の画家H.U君の手によるもの。
T.Mさんは、個人で天体観測所を所有していて
北海道でうどん屋さんもやっている。
写真と絵の合成は友人の
M.T君。
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2008. shinji−seiyo
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