




オープンして5ヶ月の1983年末頃、いっしょにやっていた友人(コンピュータ担当)が持病で入院。
そのまま退社することに。彼にはパソコンのイロハ、ワープロ、そして簡単なプログラムもおしえてもらった。
ゲームを作ろうとシナリオまで書いたりしたが、ビデオの大波にも乗らなければならず。資金もなかったので
二兎は追えなかった、そこで一人一兎でいこうとなるいい機会だったと今は思っている。
同じころ、フトン会社を三日でやめ、毎日店に来てぶらぶらしていたホラーのK氏が入社。これも必然。
これを機にコンピュータからは徐々に引き、ビデオに軸足を移していく。
ビデオの方はハード・ソフトともに好調だった。
1983年のASPのレンタル料金は映画一本、一泊二日で1000円。
当時としては安かった。
この頃の映画は一度映画館で見逃すと次はもうなく、テレビ放映を待つしか仕方がなかった。
もう一度見たいと思っても、だれもがずっと片思い。
運よくテレビ放映されてもカットの嵐で、ほかの作品となり下がっていた。
しかもテレビ放映を見逃したりすると、万事きゅーす。
このような時代背景のなかで、待ってましたとばかりに現れてくれたのが、
ビデオデッキ、そして映画のレンタルだった。

パソコン関係では、9801やX1、5550も展示していた。
しかし売れるのはゲームソフトが多かった。
この頃は、結婚式等々のビデオ撮影の仕事も多く、このテープにパソコンを使って字幕を入れようとか、
レンタル会員のデータ入力、はたまた映画の自店ランクなど、当時の最先端であるパソコンに対する夢も限りなかったが、
なにせ、ペラペラのフロッピーがようやく世に出た頃のことパソコン追及には金がかかり過ぎるとすぐに気づくことになる。




