アピア年表  2

1989年9月1日 アダルト部門を強化したビデオレンタル店、PPXをオープン。
中二階付きの倉庫風店舗、35坪で家賃は15万円だった。
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 11月  「お願いしま〜す。」といってロッキー赤坂入社。  
   この頃、市内に100坪クラスのレンタル店が続々オープン。
これが、のちに「ビデオ屋の三悪人」で有名な第一次ビデオ屋戦争である。
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 1990年3月  安値合戦による反省から、主だった店が大同団結し、
今治ビデオレンタル組合を設立。
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   組合設立により、安値競争は収まったが当店も市内での出店は
出来にくくなり、出店計画は、白紙状態となった。
 
 1991年3月24日  当社、代表取締役のS氏に霊的異常事態発生。事務所もP店舗内に移転。
これを機に当社APIASANGYO、そして内も外も
世界は大きく変わることになる。
時を同じくして、タウン誌GOGOがKユニックより創刊。
秘密を知る 
1991〜1998年  この期間は2、3の出店、閉店はあったが、バブル崩壊の世間とは違い
当社は本当に平穏な時期であった。
ちょうどこの頃、社員一同、仕事+精神世界を各自のペースで学び始めた。
今にして思えば、この期間は、宇宙からプレゼントされたものに違いない。
 
1995年   阪神淡路大震災。  
1996年   この頃から市内の駐車違反の取り締まりが厳しくなり、もともと今治署と
目と鼻の先だったうえに駐車場が確保できなかったASPNo1では、会員が
路上駐車で何人も切符を切られるにいたって、S氏が閉店を決意。
 
 8月  ASPNo1 満13年の歴史に幕を閉じる。  
   20世紀末のこの時期、今治市内には、3店舗もの大型ショッピングセンターの
計画が明らかとなり、その中の一店にビデオレンタル店も・・・
 
1998年6月   市内最大級のレンタル店ナッパ(仮名)激安でオープン。100円連発の大攻勢。  
 9月  今治ビデオレンタル組合、現状を憂いナッパに正式に抗議。
しかし、とどまることを知らないナッパの攻勢が続き、第二次ビデオ屋戦争勃発。
 
   組合加盟店、相次ぎ閉店。  
 1998年〜2001年  ASP2店とPPVは、なんとかなっていたが、このあと日本は、
恐ろしいデフレに突入。店舗運営はさらに厳しいものになっていく。
 
2001年12月   さらに 県内最大手チェーン店ダーク(仮名)が近所にオープン。
ビデオレンタル専業で在庫は5万本という。 
ビデオ屋の三悪人
番外編@を見る 
   防戦一方、苦戦を強いられるが、今できることをやり続けた。
奇跡のような店舗運営で、第2次+第3次ビデオ屋戦争をしのぐ。
 
 2002年11月  ナッパ閉店、今治からは撤退。 ビデオ屋の三悪人
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2003〜2004年   この頃、ビデオ業界では、急速にDVDへのシフトが始まっていた。
それと同時に、バブル後の淘汰に続く小規模店の淘汰が進んでいた。
当社では3店を維持してはいたが、コツコツ入れ替えるより仕方のない状況だった。
そして組合加盟店は、つ○やの二店とうちの三店、計五店を残すのみとなった。
なんとあっという間に半分以下になっていたのである。
当社もこの間で疲弊しきっていたが、これでまだ終わりではなかった。
2003年3月
映画、アダルトとも
DVD仕入開始
ビデオとの併用の為
仕入負担が急増。 
 2003年8月  「長い間お世話になりました」といってロッキー赤坂、退社。  
 9月  六三四、入社。11月には、バミちゃん、入社。 ビデオ屋の三悪人
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2004年11月   業界では、2強の店舗が伸び続けていた。この2強の一方もとうとう今治へ進出
という情報とその場所を知り、S氏は、No2閉店を決断。
とんでもない
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 12月 ASPNo2、17年9か月の歴史に幕を下ろす。   
   これに前後して、「また帰ってきます。」といって、Dr腸炎、退社。  
 2005年3月  これ以上の維持には無理があるとしてS氏の判断で、
ASPNo3、17年の歴史を終える。
 
   スケベのド坪、「外に出ても完全支援でございます」といって退社。
この時点で一般作中心のASPがなくなりアダルト重視のPPVが残った。
 
   ASPの連続した閉店作業は、たくさんの友人が手伝ってくれ、さびしさより、
ありがたさや、楽しさの方が、勝っている感覚を、心底、味わえた。感謝、感謝。
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